JSME関東支部シニア会からのお知らせ

シニアの持つ経験、技術、知恵の継承

シニア会たより 第24号

 

合唱 から得たもの

浅川 基男

【カテゴリー:趣味】

 鉄道模型造りは小学校3年生(9歳)から,合唱は大学1年生(18歳)から,ゴルフは民間研究所から現場に転勤した30歳頃から始めている.御多分に漏れず40歳50歳代までは業務に追われ 趣味は中断した.ただし,ゴルフだけは業務命令に近く中断は免れた.現在は男声合唱団(図1),混声合唱団,お よび年末の第9合唱団(池袋芸術劇場)に属している.合唱は横隔膜を使う腹式呼吸で健康にも良く,大声で発声するのでストレス解消にもなる.

図1 男声合唱団の発表会

 この機会に合唱で経験した指揮者の大切さを述べてみたい.筆者がかつて所属していた民間企業の合唱団はしばらくA氏が指揮していたが,合唱コンクールの成績は低迷したまま,団員にも活力が失せて行った.そんなある練習日に,30代半ばの指揮者B氏を招いて1回だけの指導をしてもらった.

 初回の練習から明確な目標・指示,その気にさせる人間性,団員の素質を引き出す指導力,楽譜にない音楽の新しい発見等々,練習終了後は深い感動と同時に「今までの練習は何だったんだろう」と茫然自失の状態となった.そこで,我々は会社の反対を押し切って指揮者を彼に変える決断をした.そしてその3年後「職場の部」全国優勝,暫くして総合の部で「金賞」に輝いた.合唱団の団員は全くの素人である.合唱団で活躍したいために入社した人は皆無,会社に来て初めて楽譜を読む人が過半数を占める団員は前のまま,指揮者を変えただけで数年後に全国制覇を果たしたのだ.

 彼は大学時代にグリークラブの学生指揮者を務めた後,製造業の営業マンとして実務についたので,日曜画家ならぬ日曜指揮者であった.団員の名前をすぐ覚え,個人的にも親しみやすい笑顔と明るい振る舞いで,団員を魅了した.「100人の合唱団を指揮するときは,100 対1ではなく1対1が100人分あるのだ」と語り,合唱指揮は一人ひとりの合唱団員との真剣勝負と強調していた.宗教曲を練習する際は近くの教会で,牧師さんの話を聞いてから歌い始めるので,その真髄に自ずと近づくようになる. 彼のルーツは歌謡曲で,「函館の女」を歌わせたら北島三郎よりもうまい(と私は思っている).このような団員との一体感から,職場の合唱団でありながら全日本合唱コンクールで13 年連続金賞を受賞することに繋がった.この間,合唱指揮を副業から本業に変え2006年より2014年まで全日本合唱連盟理事長を務められた.理事長在任中に久しぶりにお会いして旧交を温めた(図2).現在は傘寿を過ぎたが相変わらずお元気である.

図2 全日本男声合唱フェスティバルの懇親会会場にて(2010年)

 研究や教育の指導している教員や企業の先輩・上司も指揮者そのものではないだろうか.指導方法によって部下は良くも悪くも育つ.ノーベル賞は特定の大学や研究機関に集中するのも指導者の貢献と影響力 によるところが大と言われている.芸術やスポーツと違い,その成果が出るまで数十年の時間遅れはあるものの,大学においても職場においても教員・上司の影響力は計り知れないほど大きいと思っている.