JSME関東支部シニア会からのお知らせ

シニアの持つ経験、技術、知恵の継承

2024年度 「エンジニア塾」 参加者募集

  • 開催の主旨

    ○「ものつくり」と「ことつくり」注1を学ぶエンジニア塾

    ○小学校で勉強する算数、理科、国語、社会などを理解して幅広い知識を持ち、どこかの分野に強い興味を持った人となって、将来は「新しい社会」を創り出す人(エンジニア)になって欲しい。

    ○機械による「ものつくり」だけでなく、将来の社会を大きく変える「ことつくり」も一緒に学び、皆さんが将来取り組む仕事に役立てて欲しい。

  • エンジニア塾の募集要項

    対  象:小学生で原則日本機械学会「ジュニア会友」注2であること

    募集人員:15名(応募者多数の場合は抽選)⇒抽選結果は5月中旬に連絡

    参加費用:各イベント実費(合計約8,000円) 但し、交通費は各自負担

  • 概略スケジュール

    実地参加(主に東京神宮外苑TEPIA注3 )とインターネットなどでのリモート参加を併用して、原則土曜日、日曜日に開催予定(含む夏休み、連休等)

日程

実施イベント

概 要

4月

5月

5月末

6-7月

7月

7-8月

9月

10-11月

10-11月

12月

2月

2月

8月

募集開始

応募締め切り5/1(月)

入校式

ものづくりイベント+見学

講演「エンジニアとは」

見学会

見学会

ものづくりイベント

見学・大学主催イベントなど

ことつくりイベント

修了証授与式

個別フィードバック

参加感想発表会

 

参加者決定連絡5月中旬

全体日程などの説明(対面予定)

「機械の日」イベントとの併設

シニア会の先輩からの講演

科学館、博物館、工場などを各自で見学

つくば市の施設見学(全員一緒)

機械の仕組みを知る「ものつくり」

大学主催の学園祭などへの各自参加

「ことつくり」事例紹介と参加者同士交流

参加者への修了証授与と参加者感想

参加者及び保護者へのアドバイス

参加者の体験・感想を発表(コンテスト)

(2023年度より全国で「エンジニア塾」を展開中、他支部イベントへの参加もあります)

◎保護者の方々へのお願い

各イベントには、保護者の方の同行をなるべくお願いいたします。見学場所までの移動は、各自で交通機関を利用することになります。関東地区内での見学場所を設定しますが、ご自宅からの距離が遠くなる場合もありますので、事故などの発生の可能性を考慮頂き、ご理解頂きたい(一部イベントでは団体でイベント保険加入)。

・保護者へのアンケートなどで参加者(児童)の将来などについて、ご意見を伺いますのでその節はよろしくお願いいたします。

・イベント参加費は、実施の都度徴収させて頂きます。

・参加をご希望される方注4は、下記内容を記載の上メールにてお申し込み下さい。

  • 参加申し込み書(締切り5月1日(水))

氏名(児童本人):             年齢(学年):  才(  年生)

日本機械学会「ジュニア会友」の確認:会員番号、(いずれかを削除下さい)

氏名(保護者) :           

連絡先(メール・アドレス、電話):

   メールアドレス:                     

   電話     :            

住所     :〒                         

上記の申し込み書に記入の上でメールにて、送付お願いします

申込先:日本機械学会 関東支部シニア会 「エンジニア塾」担当 中山良一

e-mail: nakary@drive.ocn.ne.jp

 

(注1) 「ものつくり」と「ことつくり」とは

・日本の製造業では、高品質、高機能で信頼性の高い製品を開発、改良し、良いものを安く提供すれば「もの」は売れる、が「ものつくり」の考えで、強い競争力を維持してきました。しかし、新興国の製造・設計技術水準が向上し、高付加価値製品の生産が可能になってきたことや、市場も先進国だけではなく新興国の割合が高まってきたことから、従来の日本の製造業の「ものつくり」優位性が相対的に低下してきています。

・そこで、新たな付加価値を起点にした「ものつくり」が求められるようになり、「ものつくり」に対する新たな価値を提供するためのアプローチとして「ことつくり」の必要性が言われています。「ことつくり」は、「もの」を中心に置くのではなく、「もの」を使って人や社会の価値向上に寄与することをベースとしています。言い換えれば、人や社会のニーズに沿う、あるいは作り出すために「もの」とそれを活用するための様々な「サービス」を提供するものです。

・近年は、IoT(もののインターネット)のように情報技術や通信環境が発達し、これを使った新しいサービスの提供が可能になっていますし、今後もさらに発展してゆくでしょう。

・そのためには、従来の「ものつくり」だけでなく幅広い知識や経験、また、いろいろな分野に興味・知識を持つことで、「ことつくり」と「ものつくり」の両方に強い、新しいエンジニアが必要とされています。

 

 (注2)「ジュニア会友」の詳細は、日本機械学会のホームページ(下記)を参照下さい。

https://www.jsme.or.jp/member/register-application/junior-kaiyu/

(注3)TEPIA 先端技術館(科学技術、ロボットの実演・展示など)

https://www.tepia.jp/exhibition

(注4)2021-3年度に参加された方も2024年度に申し込み頂けます(但し、小学生)。

 

<参考文献>

「エンジニア塾」の解説記事(機械学会誌2022年12月号Vol.125/No.1249Dec pp.30-33)

シニア会たより 第31号(2/2)

鉄道模型と私(2)

浅川 基男

【カテゴリー:趣味】

 シニア会たより 第31号(1/2)から続く。

 学科主任で就職担当であった松浦佑次先生(第16期塑性加工学会会長)に泣きついた.先生自らがお茶を出してくれ「早稲田から国鉄に行っても出世しないよ.むしろ不合格で良かったかもしれない」と慰めてくれた.「ただ,ほとんどの会社の就職試験は終わっているしなア・・・私の知り合いのいる住金の研究所から一人研究員が欲しいと言っていたな・・・そこはどうか?」と.間髪を入れず「お願いします!」,それからトントン拍子に話が進み,8月末に大阪の本社で役員面接,そして合格の知らせが来た.“鉄道”はダメだったが“鉄の道”に方向転換したわけである.後日談であるが,2002年に米国リーハイ大学に留学した際,塑性加工の引抜きで世界的権威のB.Avitzur先生を訪問した.そのときに,自宅に保存してある鉄道模型を大切そうに出してくれた.そこには,“A MODEL OF THE BALDWIN STEAM LOCOMOTIVE BUILT BY YUJI MATSURA GIFT TO BETZ AVITZUR (MAY 2nd 1993)”と記してあった(図13).AVITZUR先生のお宅には,米国出張時に数回訪問したが,そのたびに慈しむように見せてくれた.先生にとっては宝物だったのだろう. このとき,はじめて松浦先生が私と同じ鉄道模型を趣味にしていたことを知った(図14).松浦先生と鉄道模型談議ができなかったことが,つくづく悔やまれる.

図13 贈呈された模型(左)とAVITUR先生(右)
図14 松浦先生宅の天井を走る模型(左)と雑誌"とれいん"の表紙(右)

 結局1968~1996年までの約30年間は住金の尼崎研究所・小倉製鉄所・東京本社に勤務した.その間,鉄道模型は遠ざかっていた.息抜きに大滝製作所の1/50(軌間21mm)の電気機関車EF58,EF55(流線形),EF53,蒸気機関車C57,E10等のプラモデルを組み立てた程度である.それも,引っ越しの際に消えてなくなった.幸い9600とD51は箱のまま残っていたので,現在9600から組み立てを始めている(図15).

同型の大滝製作所製蒸気機関車E10
現在組み立て中の蒸気機関車9600

図15プラモデルの機関車たち

 1996年に住金から早大に転じた.研究教育業務に慣れてきた2007年8月,デアゴスティーニ社から「週刊 蒸気機関車C62を作る」が発刊された.1/24スケール,Gゲージ(軌間45mm)で全長1m近くのブラス製の蒸気機関車で,重量感も半端ではなく一部にはロストワックス製精密部品もある.ワルシャート式の弁装置,動輪・従輪のイコライザー機構など本物そのままでメカ好きにはたまらない.運転室の計器や作動弁,煙室内も実物に忠実である.C62 2号が動態保存されている京都鉄道博物館に毎年のように通い,パイピング(配管)や細かな部品を撮影し模型の細密度を向上させた.現在,動態保存中(動輪が回転し,蒸気音や汽笛が鳴る)で,孫が喜ぶだけでなく私のストレス解消にも役立っている(図16).

図16 1/24スケール、1番ゲージ(45㎜幅)、全長1m近くのブラス製のC62 2号型蒸気機関車

 2014年 大学退職後,家内の了解を得て書斎の寝床の上に1畳ほどの縮尺1/150のNゲージ軌間9mm)レイアウトを設けた(図17).車両や建物・風景は昭和20~30年代が多い.ほとんどの車両は中古品やキットで揃えた.中古品は故障しやすいが修理・再生も楽しみの一つである.2重の複々線,貨物専用線,高架新幹線,都電など5ラインの同時運転,9セットのポイント,夜間照明等を付加した.

図17 寝床上に設けた1畳ほどのNゲージレイアウト(縮尺:1/150)

 「公益資本主義」掲げる原丈人氏のお父さん原信太郎氏は“ケタ外れの鉄道マニア”で2012年7月,横浜駅東口の駅前に「原鉄道模型博物館」がオープンさせた(図18).ジオラマは1/32サイズ(軌間46㎜)の鋼板製模型で,鉄の車輪,鉄のレール,継ぎ目は本物と同じボルト締め,木製の枕木,バラスト敷等のため,走行音は本物に近い.しかも電気は架線からパンタグラフを通してレールに流している.

図18 "ケタ外れの鉄道マニア"原信太郎氏による原鉄道模型博物館

 2019年末にドイツ・ハンブルグのHOゲージのミニュチュアワンダーランドを訪問した(図19).聞きしに勝る規模で,世界9地域のテーマごとに部屋を分け,飛行機の離着陸も実演している.

ワンダーランドの入口
車両群
飛行機の離着陸
スタッフの作業風景

図19 ドイツ・ハンブルグのHOゲージのミニチュアワンダーランド

 単なる趣味の鉄道模型が,私に ①機械工学科を選択させ,②“鉄道”ならぬ“鉄の道”を選択させ,③大学の機械工学科で“ものづくりの研究・教育”をさせることになった.もし,鉄道模型を趣味にしていなかったら,全く“別の道”を歩んでいたかも知れない.これがやり直しのきかない人生の面白さである.

2023年度 エンジニア塾 活動報告


2023年度「エンジニア塾」を終えて

中山良一

 「エンジニア塾」は、関東支部シニア会で企画・運営する小学生向けの年間講座シリーズ。
 2021年度コロナ禍にトライアルで開始、今回2/25に2023年度第3回「エンジニア塾」修了式を迎えることができました。今年度の活動の概要報告と2024年度以降の活動に対するご協力のお願いをまとめてみました。
 2021-22年は、コロナ禍が続いており、小学生とシニアが対面でイベントを実施することは、殆ど困難でしたが、2023年はWeb遠隔と対面を併用して実施できました。なお、本「エンジニア塾」の活動を各支部と協力して、一部イベントを全国版「エンジニア塾」としてWeb利用実施しました。
 参加者は、11名(全員JSMEジュニア会友、男子6名、女子5名、2022年からの継続5名、小学1年生から6年生)でこれまでの最多参加でした。
 年間の活動状況を表1に示す。

表1 2023年度「エンジニア塾」実施状況
日程 項目 内容
2023年5月28日(日)
PM14-17時
・エンジニア塾開校式(対面+Web) 開校の挨拶、主旨説明、参加者自己紹介
全体説明・スケジュール紹介・見学について説明(Web等~7月末)
6~8月(随時) ・見学会(3-5ヵ所) 各自が興味を持っている見学先候補リストから選んで、6月-8月中に3件以上を各自でWebまたは家族単位で見学して、感想をフォーマットに記入して、8月末までに提出すること
2023年7月9日(日)
PM14-17時
・第2回「ものつくり」イベント(対面) 対面でロボットキットを親子で組立、高学年向けにクローラロボット、低学年向けに歩行ロボットを作り、競争するイベント
2023年8月27日(日)
PM15-17時
(他支部との合同)
第3回「エンジニアの仕事について」(Web) エンジニアの仕事(講演20分)×2件
見学へのアドバイス
質疑応答
2023年9月24日(日)
終日AM9-PM16時
第4回「つくば見学会」(現地) 筑波研究学園都市の研究施設など5ヵ所訪問し、先端技術や過去の機械事例を学ぶ。シニア会メンバー、学生会メンバーとの交流予定。感想をフォーマットに記入して、10月末までに提出
2023年11月12日(日)
(他支部との合同)
第5回「ものつくり」イベント(対面+Web) 機械の仕組みを知るイベント、簡単な工作で仕組みを知ること、CADやCAMを学ぶこと、ロボットの制御を学ぶこと
2023年10~11月 ・各自で大学祭へ参加(対面) 大学主催イベント候補を各自で複数選定、感想をフォーマットに記入して、11月末までに提出
(一部シニア会メンバーも参加)
2023年12月17日(日)
(他支部との合同)
・第6回エンジニア塾(Web)
 ・シニアおよび学生からアドバイス
 ・「ことつくり」イベント
事前に未来を考えた「絵画コンクール」作品を配布して、将来どの様な「こと」をしたいかを議論し、シニア会メンバーからアドバイス
2024年2月25日(日)
(他支部との合同)
・エンジニア塾修了式(対面+Web) 参加者の感想(本人+保護者)
シニア会メンバーによるアドバイス
修了証授与式
(7/9実施の第2回「ものつくり」イベント2023/7/31付けで報告済み)

〇開校式(対面とWeb併用開催)
 神宮外苑のTEPIA 先端技術館(シニア会員渡邉氏が常務理事)の施設で開催、「エンジニア塾」 活動の概要説明。さらに開校式と併せてTEPIA見学会を実施(2023/5/28 写真1-3)。

写真1 開校式挨拶
写真2 TEPIA見学
写真3 集合写真(対面出席者)

〇第3回「エンジニアの仕事について」(Web開催)
 エンジニアの仕事を小学生に分かり易く紹介、夏休みに見学した時の感想などの意見交換実施。

〇第4回「エンジニア塾」(見学会)
 つくば市内の研究施設(4カ所とエクスポセンター)をバス利用で見学、科学技術からエンジニア リングまでの幅広い施設で解説、メンバーがそれぞれの施設で色々なことに興味を持った様子。最後にJAXAで宇宙関係装置などを見学(2023/9/24 写真4-7)。

写真4 地図と測量の科学館(国土地理院)
写真5 つくばサイエンスツアーバス
写真6 JAXA見学
写真7 集合写真(JAXA前)

〇第5回「ものつくり」(対面+Web開催)
 TEPIA保有の加工機を利用した「リンク機構」つくり、レーザー加工機によるネームプレート つくり、簡単なCADを利用したリンク機構の作画を体験・実施(2023/10/12 写真8-11)。

写真8 リンクCAD
写真9 リンクで描く
写真10 穴開け作業
写真11 集合写真

 

〇第6回「ことつくりと大学生に聞く」(Web開催)
 エンジニアの仕事に大切な「ことつくり」と「ものつくり」について解説。大学院生、大学生 各2名が機械系に進学した動機、現在の研究を説明、それらについての質疑応答。

〇修了式(対面とWeb併用開催)
 開校式と同様TEPIA先端技術館にて、修了授与式を実施。イベントの感想をメンバーと保護者 から伺った(写真12-13)。

写真12 修了式の状況

写真13 集合写真(対面出席者)

<2024年度に向けて>
〇全国で行われている小学生向けイベントとの連携をさらに図り、JSMEの次世代へ向けた活動を強化する。対面開催とWeb開催を併用、参加者の利便性を向上して、多数の参加動員を図る。
〇開催イベントの日程を予め年間計画として決定し、参加者のスケジュール確保を図る。
〇「ものつくりイベント」では、企画内容を検討し、TEPIA設置の工作機械活用を図る。
〇参加者間の交流を図る機会を「エンジニア塾」開始時に設けて、各イベント実施における相互協力などがスムーズに行える改善を図る(学年を越えた「塾」活動の充実)

<シニア会メンバーの参画のお願い>
 現在、「エンジニア塾」の企画・運営について、主としてシニア会運営員経験メンバー(4名)と現運営委員(会長+3名)で行ってきました。しかし、2024年度以降シニア会主催のイベント実施の増加が見込まれるため、「エンジニア塾」専任メンバーを募集する。是非、「エンジニア塾」の活動 を継続・充実して、皆様方の後継者(機械系エンジニアの卵)を育成する活動に、ご協力頂きたい。
 本活動は、JSMEが掲げている2020年度「学会横断テーマ」の一つである「未来を担う技術人材 の育成」: 山本誠(東京理科大学)の活動の大きな柱であることもご理解頂きたい。
応募・問い合わせにつきましては、中山(nakary@drive.ocn..ne.jp)まで御連絡ください。

<謝辞>
TEPIA渡邉常務理事、藤江チーフスタッフ他の皆様方へご協力、感謝申し上げます。
JSME大黒課長、関東支部シニア会鳥毛会長、高屋幹事、新山委員、福地委員、本阿弥元会長、中村 元委員、笠井元委員および学生会担当の曽佐委員へ「エンジニア塾」の企画・運営にご協力頂きましたこと、感謝申し上げます。

シニア会たより 第31号(1/2)

鉄道模型と私(1)

浅川基男

【カテゴリー:趣味】

 2016年,蒸気車の雛形(模型)を調査しに佐賀県まで出向いた.嘉永六年(1853年),エフィム・プチャーチン率いる旗艦が長崎に入港,出島を管理し富国強兵に力を注いでいた鍋島直正とその藩士が見聞に行った.ロシア士官が蒸気車雛形に熱湯を入れアルコール器に火を点ずるとボイラーから沸騰音が鳴り響き煙筒から湯気が発生し,たちまちに軌間130 mmのレール上を軽快に走り回るではないか!これに感動した直正は,エンジニア藩士久留米藩からスカウトした機械発明家の田中久重儀右衛門らを動員して,2年後に国産初の蒸気車雛形を試走させた(図1).彼らも熱中して取り組んだことであろう.この蒸気車は鋼と真鍮で作られ,2気筒のシリンダーを持ち,ギアチェンジ機構も備えていた.蒸気圧力が弱かったので,久重らはギアー等で減速して回転力を引き出す独自の工夫も加えた(図中矢印).この蒸気車雛形製造を通じて,銅合金の鋳込み技術,板材・棒線材・管材などの成形・引抜き・鍛造・せん断・接合などの塑性加工技術,および歯車などを切削する機械加工技術を駆使して部品を製造したに違いない.古くから砂鉄・溶解・熱間加工・熱処理による日本刀・鉄砲製造に代表される金属加工技術から,幕末のものづくり技術のレベルとして当然の進展であろう.また模型と言わず雛形とは実にかわいらしい表現である.この調査は大変楽しい出張となった.

精煉方内で蒸気車雛型試運転
蒸気車雛型を前にして楽しそうな筆者
減速して回転力を引き出す独自の工夫

図1 鍋島藩が力を注いだ蒸気車雛型模型(公益財団法人鍋島報效会徴古館所蔵

 さて,私は東京・尾久駅の近くで生まれ,蒸気機関車が走る駅や操車場で自由に遊んで過ごした(図2).蒸気機関車C62の重連が通過するときの汽笛や蒸気音で,沿線にある私の小学校の授業も中断するほどであった.また,山手線を走る白い帯をつけた連合軍専用2等車(図3)は,子供ながらも“かっこよい”と思った.私が小学校2年の1951年4月桜木町事件が起きた.架線のワイヤーが断線し車体に接触,木造主体の先頭車両モハ63が激しい炎に包まれ全焼,2両目のサハ78も延焼し最終的に死者106人・重軽者92人を出す大惨事となった(図4).子供心にも強い刺激を受け,母にせがんで朝刊を読んでもらった記憶がある.図5のクモハ73は桜木町事件後に改良した電車で,前面にある運転席の大きな3枚窓が“かっこよい”.友達がモハ72シリーズのOゲージ(軌間32mm)電車を持っていたので,毎日のように運転させてもらった.

図2 尾久駅のC57
図3 山手線の連合軍専用2等車
図4 桜木町事件のモハ63系電車
図5 改良型のクモハ73

 小学校4年のとき,家に帰ると座敷に0ゲージの3両編成の湘南電車の模型(図6)があるではないか! 近くの鉄工所を経営する鉄道模型愛好家が,私の模型好きを聞いて自分が製作した車両を分けてくれたらしい.これは一生忘れられない.万世橋にあった交通博物館も何回となく通った.1階中央には9850型の実物蒸気機関車のカットモデルあり,その隣にはHOゲージ(軌間16.5mm)の100m2ほどの大きなレイアウトに,あこがれの蒸気機関車電気機関車,電車の編成が縦横無尽に走行していた(図7).図8は小学校6年のとき,お年玉などのお小遣いを貯めて,交通博物館売店で買ったカツミ製Oゲージ鉄道模型自由形EB55である.帰りには須田町にあるカワイモデルに寄るのがお決まりのコースであった.

図6 同型のOゲージ80系湘南電車
図8 初めて買った同型のカツミ製EB55

 そのころは「模型とラジオ」が愛読書であった.型紙をベースに主としてOゲージぺーパー模型や,実体配線図をもとに真空管トランジスターによるラジオ製作など興味満点の記事が掲載されていた.秋葉原ラジオストアーには何回通ったかわからない.
 HOゲージのC62(鉄道模型社製)を友人から譲りうけた.その静かな走りやモーターと油の香りがたまらなかった.そして山崎喜陽氏発行の「鉄道模型趣味」と「銀座の天賞堂」が大人の香りのするHOゲージへの案内役となった.高校に入学してから鉄道模型同好会に入り,仲間と尾久や品川車両基地を歩き回った(図9).スハ43系の10両編成のペーパーによる客車作りに専念し,会員らの模型を寄せ集めて文化祭での運転に興じた(図10).ただし,側板に段差を全く廃したナハ10系(図11)は,平坦部が多すぎてペーパーによる模型はごまかしが利かず,自作は難しかった.ナハ10系は“もはや戦後ではない”の幕開けであり,その後の客車・電車のスタイルの主流となった.
 高校担任から「これからは電気・通信系の時代」とアドヴァイスされたが,鉄道車両の駆動系や台車を設計したいとの希望が捨てがたく,1962年に早大理工の機械工学科に入学した.鉄道技術に関連する製図・材力・熱力・流力や材料関連科目は一生懸命学んだ.大学3年のとき,南砂町にあった汽車会社・東京工場のアルバイトに応募,0系新幹線の図面作製の補助業務をした(図12).課長さんらとの雑談から,「主要図面はほとんど国鉄の車両設計事務所から送付され,民間会社はその図面に基づいて忠実に製造する」との役割分担があることを知った.そこで,就職先は国鉄一本に絞ることにした.大学院2年時の国鉄入社試験は忘れもしない東京駅丸の内北口にある本社であった.現在はその前に日本の“鉄道の父”である井上勝の立像がある.鉄道模型趣味が高じて大学は機械工学科を選択し,就職先は国鉄1本に絞ることになったのである.面接官に「志望先は工作局車両設計事務所,そこで鉄道車両の設計をしたい」との希望を述べた.しかし後日不合格通知が届いた! 自分のノー天気さを思い知った.

 シニア会たより 第31号(2/2)に続く

図9 品川車両基地訪問
図10 自製客車群(左)とレイアウト(右)
図11 新客車ナハ10
図12 汽車会社でのアルバイト

編集委員から
 浅川さんから頂いた原稿が大部だったので第31号は今月(2024年2月)と来月(3月)の2部構成にして掲載いたします。これからも投稿内容によってどのように掲載するかを投稿されたメンバーと編集委員で相談をしながら対応していきますので、シニア会のメンバーの方々の投稿をお待ちしております。

日本機械学会関東学生会第63回学生員卒業研究発表会3/13(水)コメンテータ募集

コメンテータ募集のお知らせ

関東支部シニア会顧問(幹事代行)   中山良一

 関東シニア会の活動にご協力頂き、ありがとうございます.
今年度も関東学生会から第63回卒業研究発表講演会へのコメンテータの派遣がシニア会へ依頼されました.以下,卒業研究発表講演会コメンテータの概要です.本年はコロナ前のように対面形式講演(オンライン発信なし)の開催となり,コメンテータとしてAMとPMの終日対応となります.

日時 2024年3月13日(水)
会場 早稲田大学 西早稲田キャンパス
時刻 9:00-11:45と12:15-15:00(AMとPMで各室約20件の発表)

〇コメンテータの役割
 各発表に対して発表方法などについてアドバイス
 各室の優秀発表についての採点(全員とは限りません)
〇学生員卒研発表講演会
 発表室数:  13室
〇コメンテータ募集人数
 13室×各室あたり2名=26名
〇その他
 ・昼食は用意します.
 ・交通費については申請により支給します.
 ・支部総会講演会と併催で参加費無料です.
 ・数日前~7日前程度からダウンロード版予稿集を見れます.

 ご参加いただける場合には,下記のWebサイトにて参加申し込みください.希望される専門分野はWeb記載の専門分野リスト(0番はどこでも可)から選択して第1~第3希望をご記入ください.
https://forms.gle/HciuqDXCM2JcQAM39
回答締め切り2月17日(土)
何か質問や連絡等ありましたら上記のWebサイトの備考欄に記入してお送りください(その場合には希望専門分野の記載は不要です).

シニア会たより 第30号

私のコンピュータ遍歴

鳥毛 明

【カテゴリー:体験】

 学生時代から現在までごく初期のマイコンに触れてからロボットやメカトロニクスの研究を中心にやってきた中でコンピュータと接し続けています。 特にハードウェアをいじることが多かったので使ってきた歴代のコンピュータについて話したいと思います。
・学生時代
大学に入り、コンピュータプログラミングの講義でフォートランを学び、実習としてプログラミングを行いましたが、今のようにパソコンなどがない時代でソースプログラムをパンチカードで提出し、後日処理結果を受け取るという形での実習でした。
 4年で研究室に配属されて、最初にミニコン(HITAC 10-II)でのプログラミングをすることになり、ソースプログラムは紙テープで入力ということになりました。卒論でマイコンでのPID制御のパラメータの最適化をやることになり、SBC-80というワンボードコンピュータを使うことになり、紙テープでソースプログラムを作ってHITACでクロスアセンブルしてバイナリのデータを紙テープで出力し、それをSBC-80に読み込ませて実行という作業を繰り返していました。やっているうちに紙テープのASCIIコード部分は直接読めるようになり、手持ちのテープパンチでぱちぱちとプログラムの修正を行っていたところ院生の先輩に「何やってんだ」と驚かれたりしていました。
 大学院に進んでからはDOSCP/Mが使えるシステムが使えるようになり、画面上でエディターでプログラム編集やコンパイルができるようになり便利になってきました。修士の研究で使ったコンピュータはチップ単位でパーツを集めマイコン基板をラッピングを使って手作りで作成し、OSも雑誌の記事を参考に作成、ディスプレイに表示するフォントも手作りという形で作成しました。
 博士課程に入った頃(1981年)16ビットCPUが各社から発表され(インテルの8086、ザイログのZ8000、モトローラの68000)、どれにしようかと検討してZ8000を選び開発システム一式を購入してもらい研究に使っていました。その後の状況を見るにZ8000は外れだったなと言うのが正直な感想ですが。
PC-98時代
 院生の頃にPC-98が発売され、就職した研究室でPC-98を購入し、数年ごとに性能が上がるごとに購入することを繰り返していました。CPUは8086からV30,V50、80286と変わってどんどん性能があがるのが楽しみでしたが、コンピュータ本体は完成された状態なのであまりいじるところが無く数値演算プロセッサやJIS第2水準ロムを追加する程度しかできない状況でした。
DOS/V時代
 そうこうしているうちにWindows3.1が発売されIBM互換機に英語版のWindowsをいれ、日本語化キットのDOS/Vをインストールすることで使える時代が来て、早速DOS/V機を購入し使い始めました。DOS/V機だとCPUやマザーボード、メモリ、グラフィックボード、ハードディスクなどパーツで購入し組み立てることができるようになり、最初のPCはセットで購入しましたが、それ以降は研究室で使うコンピュータは嬉々として自作していました。

 CPUやグラフィックボードなどの進化はムーアの法則に則って現在も続いていますが、50年程度で処理能力が10の5乗から6乗の間位向上して、昔だと夢物語だったリアルタイムでの画像処理などが難なく実現していることに驚いています。
 最後に、コンピュータを自作していて古いコンピュータを廃棄する際に記念にCPUを外してコレクションしていたのでご覧ください。並べていて、いろんなCPUを使ってきたなと感慨に 耽っています。

インテルのCPU達です。左上から順に80386,80486DX, 486OverDrive ×2
2列目 pentium ×2、pentium II(カートリッジタイプ)、pentium III ×2
3列目 pentium-PRO(チップタイプで一番大きいサイズです)、XEON ×2、pentium 1200、pentium with MMXCELERON ×2
4列目 CELERON ×6
5列目 Core2 Duo

AMDのCPU達です。1列目 80L286
2列目 Am486DX2、Am5x86、それぞれ80486pentiumの対抗CPUです。AMDが略されずに書かれています。
3列目 Athlon(カートリッジタイプ)、Geode
4列目 K-6-II ×3、K-6-III
5列目 Athlon64X2、Opteron 6列目 Athlon ×2、Duron

シニア会たより 第29号

エンジニアの三種の神器 思い出と変遷

福地真理夫

【カテゴリー:趣味】

 昨年、シニア会行事で、学生(会)からシニア(会)への 「エンジニアとしての大先輩への質問」 にシニア(会)が答えるという企画があり加えて頂きました。 質問はエンジニア人生の多岐に亘るものでしたが、面白いものに「家電製品で三種の神器があったように、エンジニアの「三種の神器」を選ぶならば何か?又その理由は?」 というのがあり、私の回答は; 胸ポケットに収める「直定規(時には小さいノギス)」、「ルーペ」、「小さい計算尺」、「関数表が巻末に付いている手帳」とルール違反ながら4点あるが、計算尺三角関数表付手帳は、関数電卓に置き換えられたので、直定規、ルーペ、関数電卓の3点であろうとしました。 そして理由は、「現場・現物主義で不具合品の確認と解決策をその場で探る道具であり、これらを使いこなす先輩を見て、エンジニアのアイデンティは、これらポケットに収まっている道具であろうと感じてきた」 というものでした。

 その後、同年代の集まりで、若い頃利用していた「道具」や「計測機器」の話題が意外と盛り上がることに気づき、そこに、アナログ、マニュアルからデジタル、機械化への移り変わりなどの話も加わると、シニア世代にこういった話のタネは尽きないのだと感じました。

 そんなことから、机をひっくり返して昔の「道具」を見つけ出して、「エンジニアの三種の神器」の思い出話をまとめさせて頂きました。 尚、会社の設備や会社購入品を含めると、とても紙面が足りなくなりますので今回は、個人持ちの道具で進めさせてもらいます。

計算尺

 大学には、昭和44年(1969年)に入学し、計算尺は、写真にある25センチのものを購入しました。 工学実験での考察や材力等機械工学講座の演習などに使いましたが、卒業の頃には高価ながらも電卓を購入した者が出てきていましたので、恐らく私の年代が計算尺を使っていた最後に近い年代と思われます。

 昭和48年(1973年)に建機メーカーに入り、エンジン設計部署に配属されました。その頃、四則演算の電卓なら買えた時期と思いますが、クレーム返却品の会議などで、さっと計算尺を取り出して上司からの質問に答える先輩に憧れ、胸ポケットに入る15センチ程度の計算尺も購入しました。(計算は、設計側はトルクで考えるも他部署では馬力を聞きたがるなどでその換算を行うなど。) ただ、既に「時代錯誤」であったことは明らかで、15センチのものは、手入れ不良でのカーソルや滑尺の不具合も出て、行方知らずとなりました。 手許に残った計算尺(写真)は、革ケースに入っていて健在ですが、息子が高校生の時、対数の理解にと、対数スケールの刻み線があるから乗除算の解が足し算・引き算をするように求まることを示したのですが、電卓のある時代に、私の思いは、殆ど伝わりませんでした。

直定規

 写真は、製図用ドラフター付属の短い方(25センチ)の定規です。 社内にCADワークステーションが導入され、大量にドラフターを処分したとき、貰い受けました。 長い方の定規は、余り希望者がいませんでしたが、短い方は、全て引き取られたと記憶します。 胸ポケットに入れていたものは、竹製15センチのもので、現場での現物測定などに使いましたが、竹製故に端面から破損が出てきて、いつの間にか紛失となり、銀行の景品などのプラスチックのものに置き換わりました。 ドラフターの定規は丈夫な作りで刻み線も濃く深いため、直線を引く時のガイド、コンパスやデバイダへの寸法取り、部品に当てて平面度確認などで活用しました。 これには定規としてのJIS検定証がないので、部品寸法を測定して合否判定はダメだと笑いあったのも思い出です。

ルーペ、ペンライト

 ルーペは、昔ながらの独特の金属製ケースにガラスレンズのものが倍率も高く正統派の道具と思いますが、高倍率故に視野が狭く対象物と目の位置関係が難しく、後に購入したプラスチック製の倍率は低くとも大きなレンズのものと併用して破断面の観察などを行いました。 ペンライトは、以前は、胸ポケットに止めるクリップが付いた「ペンライト」で、エンジン内部の狭い空間内にある部品の組立状況確認やその動き確認などで使いましたが、80年代後半に米国出張者のお土産に写真のマグライトを貰い、その明るさ故に即、切り替えとなり、古いペンライトは、処分いたしました。

関数表

 写真で関数表を写しても面白くないので省略しますが、机上では、機械要素設計の参考書や分冊形式だった機械工学便覧第1分冊「数表、物理定数」などを置いて利用していました。 ポケット用には、輸入計測器代理店が年末の挨拶に届けてくれる手帳の後半部分に数表、関数表、物理定数などがあり、これを何年か使っていました。  また、会社では毎年「理科年表」を購入していて古くなった版は処分していたので、譲り受けて関数表、物理定数などの部分を使用している人もいました。 尚、今の理科年表には「関数表」は入っていないとのことで、調べてみると機械工学便覧からも既に無いようです。 歯車の設計に必須のインボリュート関数などは、途中に引き算が入ることもあり、桁数の多い「関数表」が取り合いでしたが、Excelからでも容易に算出出きる時代となり、懐かしい思い出です。

まとめ

 私の若い頃の「エンジニアの三種の神器」とその思い出を紹介させて頂きましたが、今では、スマホのアプリケーションとして、関数電卓機能は当然ながら、エンジニア向けの多くのソフトが公開されています。 実務での有用性は分かりませんが、音の周波数分析ソフトなどもあるので、現場の不具合確認などは、これらソフトを使って、時には、接写撮影なども行ってデータを記録、送信することが可能です。 この変化を考えると、今のエンジニアには、胸ポケットの「かさばるもの」ではなく、適切な情報収集を助け、その情報からの判断のためのガイドとなるものが大事なのかと分かります。 そしてこれは、私の時代でも同じで、胸ポケットに入っているものも、使いこなしてその場その場の適切な判断を即座に下してこそ意味があったのだと改めて思う次第です。

 最後に、思い出話は、会社の設備も含めると; 手に持って触針を対象物に当てて測った振動計でのデータ解析作業の困難さや、IBMの大型計算機を使用して多質点系の振動解析をするも収束判定部分の間違いから一晩中稼働させて始末書を書いたなど、きっかけがあるとどんどん出てきます。 それらの話題で皆様と盛り上がる機会があることを楽しみにしております。