JSME関東支部シニア会からのお知らせ

シニアの持つ経験、技術、知恵の継承

シニア会たより 第23号

昔の暮らし

藤川 卓爾

【カテゴリー:技術】

三丁目の夕日」の昭和30年代(1960年前後)のエネルギー消費はどれくらいだったのだろうか?

図1 日本の1次エネルギー供給量の変遷 [出典] EDMC推計

 図1を見ると昭和30年代の始め(1955年)から約20年間にわたって継続した「高度経済成長期」と共にエネルギー供給量が急激に拡大したことがわかる。高度経済成長期を支えたのは水より安いといわれた輸入石油である。しかし1970年代の2度にわたる石油ショックによってエネルギー消費は一旦停滞した。
 私は昭和30年代に小学校高学年から大学2年までを過ごした。昭和28(1953)年に英国のエリザベス女王戴冠式が行われた。これに出席するために当時皇太子であった上皇様が横浜港から出発する映像がテレビで放映された。これは私が初めて見たテレビ放送であった。
 昭和32(1957)年にソ連スプートニクを打ち上げた。昭和33(1958)年に日清のチキンラーメンが発売された。高校に入学した年に安保闘争があった。
 昭和36(1961)年、高校2年のときに母が亡くなった。我が家には母が亡くなるまでテレビ(白黒)も電気冷蔵庫もなかった。狭いながらも会社の社宅の庭で野菜や果物を栽培していて部分的に食糧自給をしていた。社宅には共同井戸があり、夏でも井戸水は冷たかったので井戸で西瓜を冷やしたりしていた。当時、生鮮食材は買ったその日に食べていたので冷蔵庫で保存する必要がなかった。
 「三丁目の夕日」の時代に人々はそれで満足していたと思われる。それ以上の贅沢を知らなかったからであろうか? 私は、その時代の物質やエネルギー量の絶対値ではなく、その変化傾向即ちdy/dxも満足度に影響していたのではないかと思う。来年は今年より必ず良くなるという希望が人々の心を支えていたのではないかと思う。
 「21世紀のエネルギーはいかに?」、「持続可能な循環型社会を支えるには?」の問いに対して自分なりに 5 つの仮説を立ててみた。その第1番目が自然エネルギーである。100%自然エネルギーに依存し、エネルギーも食料も自給した実例が 150年前までの日本にあった。「江戸時代」は人口3千万人で完全なリサイクル社会を形成していた。3千万人は今の日本の人口の1/4である。

図2 江戸時代のエネルギー源

江戸時代の人々の生活は、化石燃料に頼らず、ものを徹底的に再利用した後に自然に戻す理想的な持続可能循環型の生活であった。図2には「日向水」の様子や旅行の様子が描かれている。江戸時代の旅行には食料以外のエネルギーは必要とされなかった。化石燃料を使用しないから大気汚染もない。まさに今流行の「地球に優しい」生活である。ただし、「地球に優しい」の言葉は美しいが、それだけでは済まない。同時に「人間に厳しい」のである。
 そこまで覚悟して、かつ4人のうち3人が死んで、都市や工場や道路になってしまった平地を田畑に戻せば、日本は自然エネルギーだけでやっていける。ただし、外から黒船が来なければ。