鉄道模型と私(2)
浅川 基男
【カテゴリー:趣味】
シニア会たより 第31号(1/2)から続く。
学科主任で就職担当であった松浦佑次先生(第16期塑性加工学会会長)に泣きついた.先生自らがお茶を出してくれ「早稲田から国鉄に行っても出世しないよ.むしろ不合格で良かったかもしれない」と慰めてくれた.「ただ,ほとんどの会社の就職試験は終わっているしなア・・・私の知り合いのいる住金の研究所から一人研究員が欲しいと言っていたな・・・そこはどうか?」と.間髪を入れず「お願いします!」,それからトントン拍子に話が進み,8月末に大阪の本社で役員面接,そして合格の知らせが来た.“鉄道”はダメだったが“鉄の道”に方向転換したわけである.後日談であるが,2002年に米国リーハイ大学に留学した際,塑性加工の引抜きで世界的権威のB.Avitzur先生を訪問した.そのときに,自宅に保存してある鉄道模型を大切そうに出してくれた.そこには,“A MODEL OF THE BALDWIN STEAM LOCOMOTIVE BUILT BY YUJI MATSURA GIFT TO BETZ AVITZUR (MAY 2nd 1993)”と記してあった(図13).AVITZUR先生のお宅には,米国出張時に数回訪問したが,そのたびに慈しむように見せてくれた.先生にとっては宝物だったのだろう. このとき,はじめて松浦先生が私と同じ鉄道模型を趣味にしていたことを知った(図14).松浦先生と鉄道模型談議ができなかったことが,つくづく悔やまれる.
結局1968~1996年までの約30年間は住金の尼崎研究所・小倉製鉄所・東京本社に勤務した.その間,鉄道模型は遠ざかっていた.息抜きに大滝製作所の1/50(軌間21mm)の電気機関車EF58,EF55(流線形),EF53,蒸気機関車C57,E10等のプラモデルを組み立てた程度である.それも,引っ越しの際に消えてなくなった.幸い9600とD51は箱のまま残っていたので,現在9600から組み立てを始めている(図15).
図15プラモデルの機関車たち
1996年に住金から早大に転じた.研究教育業務に慣れてきた2007年8月,デアゴスティーニ社から「週刊 蒸気機関車C62を作る」が発刊された.1/24スケール,Gゲージ(軌間45mm)で全長1m近くのブラス製の蒸気機関車で,重量感も半端ではなく一部にはロストワックス製精密部品もある.ワルシャート式の弁装置,動輪・従輪のイコライザー機構など本物そのままでメカ好きにはたまらない.運転室の計器や作動弁,煙室内も実物に忠実である.C62 2号が動態保存されている京都鉄道博物館に毎年のように通い,パイピング(配管)や細かな部品を撮影し模型の細密度を向上させた.現在,動態保存中(動輪が回転し,蒸気音や汽笛が鳴る)で,孫が喜ぶだけでなく私のストレス解消にも役立っている(図16).
図16 1/24スケール、1番ゲージ(45㎜幅)、全長1m近くのブラス製のC62 2号型蒸気機関車
2014年 大学退職後,家内の了解を得て書斎の寝床の上に1畳ほどの縮尺1/150のNゲージ(軌間9mm)レイアウトを設けた(図17).車両や建物・風景は昭和20~30年代が多い.ほとんどの車両は中古品やキットで揃えた.中古品は故障しやすいが修理・再生も楽しみの一つである.2重の複々線,貨物専用線,高架新幹線,都電など5ラインの同時運転,9セットのポイント,夜間照明等を付加した.
図17 寝床上に設けた1畳ほどのNゲージレイアウト(縮尺:1/150)
「公益資本主義」掲げる原丈人氏のお父さん原信太郎氏は“ケタ外れの鉄道マニア”で2012年7月,横浜駅東口の駅前に「原鉄道模型博物館」がオープンさせた(図18).ジオラマは1/32サイズ(軌間46㎜)の鋼板製模型で,鉄の車輪,鉄のレール,継ぎ目は本物と同じボルト締め,木製の枕木,バラスト敷等のため,走行音は本物に近い.しかも電気は架線からパンタグラフを通してレールに流している.
図18 "ケタ外れの鉄道マニア"原信太郎氏による原鉄道模型博物館
2019年末にドイツ・ハンブルグのHOゲージのミニュチュアワンダーランドを訪問した(図19).聞きしに勝る規模で,世界9地域のテーマごとに部屋を分け,飛行機の離着陸も実演している.
図19 ドイツ・ハンブルグのHOゲージのミニチュアワンダーランド
単なる趣味の鉄道模型が,私に ①機械工学科を選択させ,②“鉄道”ならぬ“鉄の道”を選択させ,③大学の機械工学科で“ものづくりの研究・教育”をさせることになった.もし,鉄道模型を趣味にしていなかったら,全く“別の道”を歩んでいたかも知れない.これがやり直しのきかない人生の面白さである.