JSME関東支部シニア会からのお知らせ

シニアの持つ経験、技術、知恵の継承

シニア会たより 特別編 第1号(3/3)

私の楽器づくり 第3編:笛の製作

佐伯 和良

【カテゴリー:趣味】

シニア会たより 特別編 第1号(1/3)(2/3)より続く。

 現在相変わらず取り組んでいるのは水道用塩ビ管を使った笛である。 誰でも安価で簡単にでき、それなりの音が出ると思うからである。 材料はホームセンターで1.8mの水道用塩ビ管 と接続用継ぎ手管を購入しておけば数個の笛が出来る。
 道具は指孔用の78mm径と予備穴あけ用の2mm径のドリル、鋸と角取り用ヤスリ、電動ドリルなどである。
 吹き口は図1中の図面にあるような形状に鋸で切る。図2のように棒を入れると簡単なトロンボーンが出来る。
 図1に示すように接続用継ぎ手で吹き口を作っておくと、いろいろな笛に差し替えて使える。
 吹き口はエッジを作りそれに向って効率よく息を吹き込めれば良く、いろんな作り方があるが、私が作った尺八用とリコーダー用の吹き口の例を示す。

図1 尺八用吹き口、リコーダー用吹き口の例

 笛の音の高さは、閉管の場合は内容積が関係し、小さくなれば高音になる。後付けになるが、塩ビ管に棒をトロンボーンのように出し入れし吹き口から管末までの距離Dと振動数の関係を実験してみた。図2に示す。

図2 管長と振動数の関係

これから計算した管内容積と振動数の関係を図3に示す。

図3 管内容積と振動数の関係

 個々の笛の音程は指孔の位置に関係なく、 孔の面積によると考えている。これで10本の指を順番に開けて音程を作り、また片手で孔の面積を変えながら音程を変えて吹くことが出来る。鼻笛も口腔の容積を変えて音程を作っている。
 個々の笛の音域は約1オクターブと音域が狭いので、大きさの違う笛をハーモニカのように連結して音域を拡げている。
 開管の場合は、吹き口から指孔の距離により音程がきまる。管径が同じなら洋楽器も和楽器も当てはまる。リコーダー、フルート、横笛、尺八などである。
 13、20,25mm内径管別の吹き口から指孔までの距離と振動数の関係のグラフを作ってみた。(図4)

図4 吹き口から指孔距離と振動数の関係

 孔の位置の調整は丸ヤスリで削り、吹き口に近づければ音程は高くなり、削りすぎたらテープを貼って孔を塞げば良い。作り方は、ソプラノリコーダーを例にすると、図4から、音名C、振動数261Hz~音名D、振動数587Hzまでの指孔の位置を求め、孔を開ける。Dの孔は左親指用で反対側にあける。端末は次の指孔の先で切れば良い。アルトリコーダーの右小指は遠くなるので一部小径管を入れて指孔を近づけた。他の笛も同様に指孔の位置を求めればよい。図5に作った笛の一部を示す。

図5 尺八、横笛、リコーダー

 笛は、誰でも手軽に、手作りできる楽器であり、本物の音楽が楽しめるのでお勧めである。これを機会に楽器づくりや、音楽に触れていただければ幸いである。

シニア会たより 第24号

 

合唱 から得たもの

浅川 基男

【カテゴリー:趣味】

 鉄道模型造りは小学校3年生(9歳)から,合唱は大学1年生(18歳)から,ゴルフは民間研究所から現場に転勤した30歳頃から始めている.御多分に漏れず40歳50歳代までは業務に追われ 趣味は中断した.ただし,ゴルフだけは業務命令に近く中断は免れた.現在は男声合唱団(図1),混声合唱団,お よび年末の第9合唱団(池袋芸術劇場)に属している.合唱は横隔膜を使う腹式呼吸で健康にも良く,大声で発声するのでストレス解消にもなる.

図1 男声合唱団の発表会

 この機会に合唱で経験した指揮者の大切さを述べてみたい.筆者がかつて所属していた民間企業の合唱団はしばらくA氏が指揮していたが,合唱コンクールの成績は低迷したまま,団員にも活力が失せて行った.そんなある練習日に,30代半ばの指揮者B氏を招いて1回だけの指導をしてもらった.

 初回の練習から明確な目標・指示,その気にさせる人間性,団員の素質を引き出す指導力,楽譜にない音楽の新しい発見等々,練習終了後は深い感動と同時に「今までの練習は何だったんだろう」と茫然自失の状態となった.そこで,我々は会社の反対を押し切って指揮者を彼に変える決断をした.そしてその3年後「職場の部」全国優勝,暫くして総合の部で「金賞」に輝いた.合唱団の団員は全くの素人である.合唱団で活躍したいために入社した人は皆無,会社に来て初めて楽譜を読む人が過半数を占める団員は前のまま,指揮者を変えただけで数年後に全国制覇を果たしたのだ.

 彼は大学時代にグリークラブの学生指揮者を務めた後,製造業の営業マンとして実務についたので,日曜画家ならぬ日曜指揮者であった.団員の名前をすぐ覚え,個人的にも親しみやすい笑顔と明るい振る舞いで,団員を魅了した.「100人の合唱団を指揮するときは,100 対1ではなく1対1が100人分あるのだ」と語り,合唱指揮は一人ひとりの合唱団員との真剣勝負と強調していた.宗教曲を練習する際は近くの教会で,牧師さんの話を聞いてから歌い始めるので,その真髄に自ずと近づくようになる. 彼のルーツは歌謡曲で,「函館の女」を歌わせたら北島三郎よりもうまい(と私は思っている).このような団員との一体感から,職場の合唱団でありながら全日本合唱コンクールで13 年連続金賞を受賞することに繋がった.この間,合唱指揮を副業から本業に変え2006年より2014年まで全日本合唱連盟理事長を務められた.理事長在任中に久しぶりにお会いして旧交を温めた(図2).現在は傘寿を過ぎたが相変わらずお元気である.

図2 全日本男声合唱フェスティバルの懇親会会場にて(2010年)

 研究や教育の指導している教員や企業の先輩・上司も指揮者そのものではないだろうか.指導方法によって部下は良くも悪くも育つ.ノーベル賞は特定の大学や研究機関に集中するのも指導者の貢献と影響力 によるところが大と言われている.芸術やスポーツと違い,その成果が出るまで数十年の時間遅れはあるものの,大学においても職場においても教員・上司の影響力は計り知れないほど大きいと思っている.

シニア会たより 第23号

昔の暮らし

藤川 卓爾

【カテゴリー:技術】

三丁目の夕日」の昭和30年代(1960年前後)のエネルギー消費はどれくらいだったのだろうか?

図1 日本の1次エネルギー供給量の変遷 [出典] EDMC推計

 図1を見ると昭和30年代の始め(1955年)から約20年間にわたって継続した「高度経済成長期」と共にエネルギー供給量が急激に拡大したことがわかる。高度経済成長期を支えたのは水より安いといわれた輸入石油である。しかし1970年代の2度にわたる石油ショックによってエネルギー消費は一旦停滞した。
 私は昭和30年代に小学校高学年から大学2年までを過ごした。昭和28(1953)年に英国のエリザベス女王戴冠式が行われた。これに出席するために当時皇太子であった上皇様が横浜港から出発する映像がテレビで放映された。これは私が初めて見たテレビ放送であった。
 昭和32(1957)年にソ連スプートニクを打ち上げた。昭和33(1958)年に日清のチキンラーメンが発売された。高校に入学した年に安保闘争があった。
 昭和36(1961)年、高校2年のときに母が亡くなった。我が家には母が亡くなるまでテレビ(白黒)も電気冷蔵庫もなかった。狭いながらも会社の社宅の庭で野菜や果物を栽培していて部分的に食糧自給をしていた。社宅には共同井戸があり、夏でも井戸水は冷たかったので井戸で西瓜を冷やしたりしていた。当時、生鮮食材は買ったその日に食べていたので冷蔵庫で保存する必要がなかった。
 「三丁目の夕日」の時代に人々はそれで満足していたと思われる。それ以上の贅沢を知らなかったからであろうか? 私は、その時代の物質やエネルギー量の絶対値ではなく、その変化傾向即ちdy/dxも満足度に影響していたのではないかと思う。来年は今年より必ず良くなるという希望が人々の心を支えていたのではないかと思う。
 「21世紀のエネルギーはいかに?」、「持続可能な循環型社会を支えるには?」の問いに対して自分なりに 5 つの仮説を立ててみた。その第1番目が自然エネルギーである。100%自然エネルギーに依存し、エネルギーも食料も自給した実例が 150年前までの日本にあった。「江戸時代」は人口3千万人で完全なリサイクル社会を形成していた。3千万人は今の日本の人口の1/4である。

図2 江戸時代のエネルギー源

江戸時代の人々の生活は、化石燃料に頼らず、ものを徹底的に再利用した後に自然に戻す理想的な持続可能循環型の生活であった。図2には「日向水」の様子や旅行の様子が描かれている。江戸時代の旅行には食料以外のエネルギーは必要とされなかった。化石燃料を使用しないから大気汚染もない。まさに今流行の「地球に優しい」生活である。ただし、「地球に優しい」の言葉は美しいが、それだけでは済まない。同時に「人間に厳しい」のである。
 そこまで覚悟して、かつ4人のうち3人が死んで、都市や工場や道路になってしまった平地を田畑に戻せば、日本は自然エネルギーだけでやっていける。ただし、外から黒船が来なければ。

シニア会たより 特別編 第1号(2/3)

私の楽器づくり

佐伯 和良

【カテゴリー:趣味】

シニア会たより 特別編 第1号(1/3)より続く
 次にその後の楽器づくりを報告する。第1編の図2に示す楽器群を作っていたので 楽器づくりも一段落したかと考えていたがその後、山中湖の音楽祭でハープの演奏を聴き、アイリッシュハープなら家にある建築廃材を使って作れるのではないかと考え た。構造はよく分からなかったが、三角形の枠を作り、弦を張って、オルゴールのように箱と組み合わせれば音は出るはずだと考えた。ネックやコラム等強度部材は、山 荘のデッキの廃材で水に沈むほど比重の大きい30mm厚のウリン材から切り出した。 三角形の構造体の中に弦を張ることにした。(図1)

図1 ネック、コラム、背骨の三角形

 糸巻きはいろいろ考えて1本30円のM6六角穴付きボルトに孔を開けてナットで締め付けた。半音調整用のレバーはつけてないので途中で臨時記号が出てくる曲は対応 できない。本物の弦は高価なので低音部は電気ギター用の弦を使用し、高音部のナイロン弦はクラシックギター用の使用済み弦を使った。29弦のハープになった。響鳴箱 は家の廃材で作った。
 一応完成したと思っていたところ、これが大失敗していることが分かった。チェロ でもヴァイオリンでも左に構えるので、その積りで作ったがハープは右に構えるもの だった。即ち左右逆に作ってしまった。(図2)

図2 手作りアイリッシュハープ

 年が代わってコロナ禍の自粛期間が始まったので、この機会に作り直すことにし、ネック部分を作り直した。響鳴箱も節無しの板材にした。台の部分に共鳴箱を入れてみた。(図3)

図3 作り直したアイリッシュハープ

 本物をよく見ずに構造も含めてこれで良いはずだと想像だけで作ってみたが音は何とか出ていると思う。
 どの楽器も専門家には反対されそうだが安価な材料で独自のアイデアを盛り込み 手作りした。お陰でこれまでのところ退屈することはなかった。
  次に取り組んだのはギターチェロの平板で作っていた裏板を厚板の彫り込みにし たことである。先ず、30mm厚、幅300mmのスプルース材を半分にのこぎりで切り左右に張り合わせて幅を広げた。板厚2.5mm目標に彫り込んだ。マイクロメータ付き測定器を買ったが、板を電灯にかざして通過した色を見て面で測定する方法を見つ けてこちらを採用した。(図4)

図4 電灯に翳して測定する方法

図5 裏板彫り込み中


 ギターチェロは裏の平板部分を切り離し厚板彫り込みの裏板に張り直した。(図5) これで弦楽四重奏が出来る楽器がそろった。(図6) また、胴体取り換え式になっているので厚さを変えて容量を小さくした交換用胴体も作った。

図6 オリジナルギターチェロなど

第3編に続く

シニア会たより 第22号

モノづくり教育の秘密基地(先端技術館)について

渡邉政嘉

【カテゴリー:体験・その他】

JSMEシニア会の皆様 いかがお過ごしでしょうか。私こと渡邉政嘉は令和4年7月に経済産業省を退官いたしました。これを期にJSMEのシニア会に入会させていただきましたので改めてご挨拶申し上げます。

 長年機械工学出身の技術系行政官として経済産業省の産業技術政策の企画立案に携わり、産総研NEDOへの出向も含めて多くの現場で経験をさせていただきました。また、日本機械学会の会員としても、イノベーションセンター長、技術ロードマップ委員会委員長等多くの役所を担わせていただきました。役所と学会の窓口として常に日本の産業界及びそれをさせる科学技術の発展をいかに成しえるかを考え、微力ながら活動をさせていただいてきました。

 役所での仕事は一区切りつけましたが、学会活動には定年はありません。多くの先輩方がシニア会活動を通じて日本の機械技術の発展のために退職後も引き続きライフワークとして活動されていることはよく存じ上げています。

 役所は退官致しましたが、人生100年時代、またできることも多くありますので、再就職をいたしました。一般財団法人高度技術社会推進協会(TEPIA)というところです。(https://www.tepia.jp/)青少年に最新の技術を紹介し、将来の日本のものづくりをはじめとした産業界を担う人材を育てる活動を先端技術館という付属機関での展示やクリエイティブラボというものづくり、プログラミング体験講座を行っています。

 シニア会の皆様とのコラボをできることも多いと考えておりますのでよろしくお願いいたします。

クリエイティブラボでは、3Dプリンタやレーザー加工機などの機器や、工具類をご用意しています。

 

図1 クリエイティブラボ 機器・工具

工具

3次元のデータをもとに、イメージしたものが造形できる3Dプリンタ

レーザー加工機や、ものづくりをサポートする工具類
図2 作例 クリエイティブラボにある機器を使用して制作した試作品です。

 

シニア会たより 特別編 第1号(1/3)

シニア会たよりへの投稿をお願いしていたら、1回の掲載には収まらないような内容の投稿を頂きシニア会たより編集担当メンバーの相談で特別編として別途連載形式での掲載をすることにしました。その第1回(全3回)を掲載いたします。

私の楽器づくり 第1編:楽器づくりの背景

佐伯 和良

【カテゴリー:趣味】

 私は2019823日に東京理科大学森戸記念館で行われた日本機械学会関東支部シニア会の第一回交流会で私のものづくり~自動車用鋳造設備から楽器づくりまで~のテーマで報告している。

この度、シニア会からその後の楽器づくりについて寄稿を依頼されたので既に報告した楽器づくりの概要を述べた後にその後の楽器づくりを述べたいと思う。

 楽器づくりの契機は、山荘がある山中湖村の陶芸クラブで皿、コップ、花瓶などを作っていた時、NHKTVで土笛づくりを放送しているのを見て、2010年に陶器で作ってみたのが始まりだった。(図1

図1 笛づくり(陶器、塩ビ管)

 弦楽器を作り始めた契機は、学生時代からクラシックギターを弾いていたこと、チェロを弾きたくなり安いチェロを買ったが独学ではうまく弾けなかったので、ギターの調弦でチェロのように弓で弾いてみたらどうかと考えた。それはシューベルトの時代に短期間作られたアルペジオーネという楽器に似ているが売っていないし、作ってもらうお金もないので自分で作るしかないと考えた。

 ヴァイオリンは日本機械学会の「技術と社会」部門のイブニングセミナーで大輪武司さんのヴァイオリンを作った話を聞き私も作ってみたいと考えていた。そんな時、旧中野刑務所正門のスケッチ会があり、近くの平和の森公園に寄り展示場で網走刑務所の受刑者が作った節のないスプルースの柾目材を使ったまな板が800円で売られていたので購入した。しかし我が家の台所で使うには大きすぎヴァイオリンを作ることにした。板厚が30mmもあるのでのこぎりで半分に切って表と裏板にした。側板とネックは楓材、指板、テールピース、顎当ては山荘デッキの廃材(ウリン材)、その他の購入品は糸巻き、駒、顎当ての金具だけだった。チェロとヴァイオリンが出来たので、人間の声に近いというヴィオラ2015年に作った。弓も作ってみた。野球のバットに使うタモ材(150/本)を買い削って作った。ネジ部と弦の馬の毛は購入した。2017年から竹材を入手して尺八を、ウリン材を棹に使った三味線、沖縄の三線など邦楽の楽器を作ってみた。胴は建築廃材、猫の皮や蛇の皮は手に入らないので薄いベニヤ板を使った。

 2019年1月、二胡を作ってみた。胴は門松に使った直径100mmの竹材、棹は建築廃材、弦はスチールギター1セット500円の弦の1弦と3弦を使った。胴に張る琴皮という膜はいろいろ考えた末、クリアファイルを切って張ってみた。製作時間は半日たらず、費用も1000円以下でかなり楽しめる。

 以上が報告済の私の楽器(図2)づくりである。(次号に続く)

図2 手造り楽器群

シニア会たより 第21号



多種多様な学生持参PC端末による仮想PC上のCAD教育実施について

高屋 真二

【カテゴリー:体験・技術】

 従来の旧運用システム(図1)から新運用システム(図2)に変更し、従来の『教室設置の統一PC』ではない『多種多様な学生持参PC』を端末とした仮想PC上のCAD教育実施状況と気が付いた概略を述べます。用語等の説明は省略させていただきます。

図1.旧運用システム概要図
図2.新運用システム概要図

 最初に、システム構成・運用方法と学内外ライセンス管理の簡易マニュアル作成により、若干名の学生への個別指導が必要でしたが、問題なく進められました。
 2番目には、実績のない教室での学生PC70台の学内無線LAN接続したCAD教育授業ができることが確認でき、胸をなでおろしました。
 3番目には、多種多様な学生PC[メーカー12社/OS Windows10,11OSX/ディスプレサイズ1116インチ]に若干の問題が出ました。当初、提供データ移動を仮想PC⇒所有PC⇒仮想PCにしたため、特にMacでは提供データの文字化けが発生した。対策として、仮想PC内のみのCAD操作&データ移動に変更し、多種多様な学生PCに対応できるようにしました。
 最後に、学生のPC操作について考えさせられることの一端を述べます。
一つ目は、驚いたことにURLで開いたらログアウトしないことです。ハングアップした学生PCを見るとURLがなんと20数個開かれたままで、一部ログアウトさせたら操作可能になりました。同様に、CADソフト操作でも、CADソフト複数個起動させたまま操作したり、部品やアッセンブリを作成済みでも多数開いた状態で反応時間が遅くなっても使用したり、最終的にハングアップさせる学生がいます。
二つ目は、学外LAN接続した状態で入校し、学内LAN接続に切り替えたときの接続不良になることが数件見られ、基本的には授業前に再起動するように指導しました。
三つ目は、タッチパッドに慣れたマウスなし学生がいることです。そのため、急遽タッチ(トラック)パッド操作方法(図3,4)を作成したことは、パッドのいい勉強になりました。

 以上のように、大きなトラブルもなく、今まで同様に教育が進められたことは幸いでした。